About Us

hannari

後藤 さくら


スポーツ誌、写真週刊誌の専属カメラマンなど報道写真を経て、アメリカサーカスをテーマに渡米。新宿マイシティー、新宿ニコンサロンにて個展。その後、雑誌などを中心に活動しながら、美しき女装者をテーマに青山スパイラル、国立民族博物館の企画展に出品。
現在も女性誌などで人物撮影、広告などで活動中。

〜サーカス〜


 むかし、わたしの住む町の空き地に女子プロレスがやってきました。
二人組の人気レスラーの歌が世間で大ヒットした全盛時代で、悪役が大暴れし、新人レスラーの痛々しく歪む表情も見所で、ストリップ小屋のような劇場感がありました。余興には小人レスラーが登場し、リングの中を駆け回る姿にも心ざわめき、気がつけばカメラを持って東や西へ、四角いリングを追いかけるようになっていたのです。仕事のない日はカメラ片手に漂白するような日々。 やがて行き着いた先は、丸いリングのサーカスでした。
 
 そしてやはり気がつけば、わたしは念願のアメリカサーカスの団員たちと旅回りをしていました。一か八かの賭けでアメリカ中のサーカス芸人たちが集るフロリダのサーカスパレードへ飛んでゆき、そこで運良く若いピエロに拾われ、芸のないわたしはコミック芸の相役として着ぐるみを被り、サーカスに潜り込むことに成功したのです。
 
 そこは40人足らずの団員が草食動物を連れ、毎日野原を移動する小さなテントサーカス団でした。来る日も来る日もテントを立てる労働者にはベトナム帰還兵もいて、彼らの寝床はなんと馬運送トラック。もうひとりのピエロは元軍人、空中ブランコ乗りは元看護婦、ピアノ演奏は元音楽教師、トランペット吹きは元郵便局員、調教師は元役場職員、マネージャーは元CIA等々、サーカスとの出会いや小さい頃からの夢を実現するために、安定した仕事や穏やかな第2の人生から180度転身した面々でした。

 たとえマイノリティーな生き方になっても、自分に正直に生きるために世間の枠組みを飛び出した様々な人生。サーカステントは世俗にこびることなく渡り鳥のように移動していました。
 
この作品は、これからもずっとわたしの原点です。



〜ドラァグ・クィーン〜


 サーカスから帰国して、わたしは実に平凡な暮らしに戻り、人並みに結婚し出産しました。が、3年で離婚。みずから選択したとはいえ、望んだ形ではありませんでした。サーカスの彼らが逞しく生きる姿に触れてきたにも関わらず、枠から外れたわたしは孤独と悲壮感でただ意気消沈していました。

 
 そんなとき、何気なく覗いたパーティでドラァグ・クィーンと遭遇しました。
奇抜なメイクとドレスの女装。それは男でもなく女でもない、どちらにも属さない形に、わたしはどれだけ救われ、どれだけ解放感に満たされたことでしょう。

 彼女たちは“男として男を愛する”がゆえに世間の枠組みから外され、ときには神に背く存在とさえ蔑まされるゲイです。運命的なマイノリティーな我が身を厚化粧と輝くばかりのドレスで鎧のように固め、その長いドレスの裾をズルズル引きずり、既成概念の境界線をかき消そうと切実に願いながら、女装という表層で発信します。しかしシンデレラのように夢の時間には限りが・・・。熱帯魚のように真夜中のクラブの人工光に照らされて煌煌と光を放った彼女たちは、朝靄と共に消えていくのです。
 クラブ通いで撮る写真には限界がありました。彼女たちの魅力をさらに求め、
自宅へ伺ったり、クラブの外へ飛び出し撮ってみたりとアプローチを変えて行いくなかで、彼女たちは仮面と皮膚の狭間を、男と女の狭間を、どちらにも留まれない波打ち際の桜貝のように揺れていました。



〜〜〜〜



 世間の枠から自ら飛び出したサーカスの彼らも、能動的ではなく枠外に存在するドラァグ・クィーンも、どちらもスポットライトを浴びて光輝き、そして同じくらいの影を背負って生きているのかもしれません。わたしはどこかでそれを感じながら、彼らを追い求めたのだと思います。


光があるから影があるのか、影があるから光があるのか、
何が常識で何が非常識なのか、何が日常で何が非日常なのか・・・
この世には虚ろで不確かな時空が同時に存在しているように思えるのです。